国会で話題になっている問題について社説として記録したい。
与党、野党、中央省庁といった、どこの責任だという括りの論議では無く、現在の状態は異常だと考える。国会答弁も、それぞれが身内を護り責任の矛先を変えようとする姿は、正直見るに耐えない。そのような姿に気分が爽快になることなどは無いのだ。それは誰でも同じことだと考える。
そもそも国政を担う国会議員は、我々国民が国政を担ってもらうために、気持ちを込めて投票し送り出したのである。その立場を改めて見つめ直して五臓六腑に落とし込んでいただきたい。日本国憲法上は勿論のこと、我が国日本の主権は国民であることは周知の通り。その主権者あっての選出こそ、議員という立場ではないのだろうか。
故に、国会議員は国民あっての立場だと断言できる。それを前提に考えたい。
現在問題になっている文書を、改ざんしないで出したとした場合はどうなっていたのか。内容を見る限り、誰かしら重症になる者がいるから、改ざんをしたのだろうと考えるのが至極道理である。そう考えると、改ざんは財務省が自主的にやる必要はあるのか、という疑問が生じる。仮説として、財務省の自主的な改ざんであるならば、責任は財務省なのだろう。圧力があったなら圧力元が責任を負うべき者であったり、負う側の人間なのであろう。互いに改ざんをすべきという結論であれば、双方が責任を取るべき対象なのであろう。このように考えると、至極単純な結論に辿り着く。誰かが(組織含む)主権者国民の為にしたことではないということだ。
このような結論は、然程賢くない私でも導きだせること。国民は何も判断できない者ではない。故に声を上げて異議を申し立てているのだ。
是非とも悪者探しではなく、真実を明らかにして、1日でも早く正常な国政運営を望む。他にやらねばならぬ課題は山積している筈だ。その課題に取り組み、国民生活の未来に関わる討議、運営をしてもらうことこそ、主権者国民が代表者として選出し、国政に送り出した国会議員の役割なのではないか。
そう考えるのは私だけだろうか。
主権者国民の為の国会運営を。それこそが適正な国会運営。それがなされることを切に願い社説として記録する。
記事:編集長 佐藤秀光
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