政治にパフォーマンスは必要か

昨今、テレビを見て、動画で政治関連の情報を見て思うことがある。
それは「政治にパフォーマンスは必要なのか」ということだ。

勿論、理解してもらうために、柔らかく説明をする上で、ある程度のパフォーマンスは必要だろう。
あくまで、理解してもらうため、ということだ。

ただ「票を集めるため」「支持を得るため」「対立政党を陥れるため」に、過剰なパフォーマンスがあるのではないか、と感じることがある。

政治家は国民の投票で選ばれる「国民の代弁者」である。あくまで「国民ありき」であり「政党ありき、政争ありき」「権力集中」ではない。そこに必要なことは「方向性を伝え、それに賛同を得て、代弁者たる人材として認められ、票を獲得し、当選する」ということだと常々思うわけである。

影響力のある者が応援しているから、認めているから、正しいと言っているから、票を入れる。パフォーマンスが優れているがために惑わされてしまい、考えなしに票を入れる。そんな世の中が助長される限り「国民の代弁者」たる、「民選された、自分たちの代表である政治家」は生まれないと考える。

政治にパフォーマンスは必要か。
理解を得てもらうためにパフォーマンスをするのはまだ許容できるが、惑わせるためのパフォーマンスには落胆する。そうなっては、なりませぬ。

国民一人一人がパフォーマンスに惑わされることなく、パフォーマンスに加担する影響力のある人に惑わされず、「この人は何を方針とし、何を推進し、どのような実行をしてくれるのか」として選ぶ、本来の政治家選び、いわゆる選挙が行われ、それを一人一人がしっかりと考え「興味が無いから投票をしない」ではなく、また「誰々に追随して中身わからず投票をする」ではなく、「近しい人が何を言おうと、自分はこう思う」という意思で投票し、その結果選ばれる政治家が増えることを願うばかりである。

日々様々な情報に触れ、そんなことを考え、「主権者である国民」を意識して、諸々を判断し実行していきたいと自戒の念を持ちながら過ごす、春の夜の想いを書き留める。

記事:編集長 佐藤秀光

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